覚苑寺について |
由 緒
当山は長府藩主第三代毛利綱元公が、元禄11年(1698年)、黄檗山万福寺の第七代住持であった中国僧、悦山道宗禅師を勧請開山として迎え創建した黄檗宗の寺院です。
もともと、当山の前身は市内綾羅木にあった古刹元享山利済寺でしたが、それを現在地に移し、名を法輪山覚苑寺と改められました。
当山は黄檗宗別格地の寺格を有し、歴代藩主の崇敬厚く、寺禄102石を有し、長府毛利家菩提寺の一つとなりました。創建以来、学僧高僧が集まり、藩中の士の従学する者も多く、藩の学問所的な性格も兼ね備えていました。幕末期の攘夷戦の折には、勝山御殿築城までの間、藩主元周(もとかね)が本拠とし、奇兵隊の陣も置かれたとのことです。
もともと、当山の前身は市内綾羅木にあった古刹元享山利済寺でしたが、それを現在地に移し、名を法輪山覚苑寺と改められました。
当山は黄檗宗別格地の寺格を有し、歴代藩主の崇敬厚く、寺禄102石を有し、長府毛利家菩提寺の一つとなりました。創建以来、学僧高僧が集まり、藩中の士の従学する者も多く、藩の学問所的な性格も兼ね備えていました。幕末期の攘夷戦の折には、勝山御殿築城までの間、藩主元周(もとかね)が本拠とし、奇兵隊の陣も置かれたとのことです。
江戸地代に描かれた絵図によると、かつては七堂伽藍を有していましたが、明治に入り、寺禄を失い、廃仏毀釈の影響もあり、諸堂は取り壊され、結果、当山に現存する創建当初からの建造物は鐘楼のみです。しかし、明治六年頃には、解体された勝山御殿の玄関部分が当山の庫裏として、また、明治八年には、三田尻(現防府市)の廃寺となっていた黄檗宗寺院、醍醐寺の本堂が解体され、当山の本堂として、それぞれ移築されました。
境内には、長府毛利家(三代綱元公 六代匡広公 十三代元周公 元周正室)の墓が、また、乃木大将銅像、狩野芳崖銅像もあります。
また春の梅、桜、秋の紅葉、その他四季折々の花が咲き、市民の憩いの場となっております。
境内には、長府毛利家(三代綱元公 六代匡広公 十三代元周公 元周正室)の墓が、また、乃木大将銅像、狩野芳崖銅像もあります。
また春の梅、桜、秋の紅葉、その他四季折々の花が咲き、市民の憩いの場となっております。
開山悦山禅師が二代目を託した弟子の祖春禅師に宛てた書簡
主な年間行事
1月1日 | 年頭法要 |
2月15日 | 涅槃会 |
3月21日 | 彼岸法要 |
4月8日 | 花まつり |
8月10日〜15日 | 盂蘭盆供養 |
9月23日 | 秋彼岸法要 (施餓鬼会) |
12月31日 | 除夜の鐘 |
毎月第4日曜日 朝8時より11時まで |
坐禅と写経の会 |
涅槃会
花祭り
施餓鬼